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   Column

この欄は、僕が折にふれて感じた事や身の周りに起った事を綴ったコラムです。
ご意見は、掲示板へどうぞ。



連載小説「靴下」第一回 '02/2/20
それまで二人は黙っていた。
列車が目的地に到着するまで、まだしばらくかかりそうだ。
「遠いな」
すると隣に座っていた正典がある種の確信のようなものに満ちた声で俺にこうささやいた。
「三木さん、これからは『ワイルド&セクシー』でいきましょうよ。」
「そうだな。いや、もちろんだとも」
確かに近頃の正典は髪の毛と同じさりげなさにそろえたヒゲを貯えていた。
「そうか、ワイルド&セクシーか、」
しかし、そう心の中で静かに呟き足を組み換えた俺の靴下にはクマの兵隊さんがデザインされていた。

正典はある種の確信のようなものに満ちた声で俺にこうささやいた。
「遠いですね」


連載小説「靴下」第二回 '02/2/20
その店は池袋から西武線で三っつ目の駅前にあった。
西武線沿線のターミナル駅の駅前には「PePe」というファッションモールをよく見かける。多分、系列会社なのだろう。
しかしその駅前にあるのはいささか違う。同じ字体を使ってはいるが、「BeBe」となっている。
「ファッションBeBe」である。
そしてその靴下は「ファッションBeBe」の地下に降りていく階段の踊り場に据えられたワゴンで3足千円で売られていた。
多くの人に物色された後らしく、「見切り品」の札は斜にぶら下がっており、商品はあまり多く残っていなかった。

世の中には二種類の人間がいる。
一つは3足千円の靴下を買う時それぞれ違う靴下を買う人間。
もう一つは3足同じものを買う人間だ。
前者は夢を追い、後者は現実に追われる。

なぜ、俺の生活の中から靴下が片方だけ消えてしまうのか、それは今でも良く解らない。しかし一度消えた靴下は次に引越をするまで姿を現す事が無いのを俺は知っている。
そして俺はたぶん後者に属するタイプの人間なのかもしれない。
その時ワゴンには3足そろうのはその靴下しかなかったのだ。
ただそれだけのことなのだ。


連載小説「靴下」第三回 '02/2/20
いや、無理に信じてくれなくてもいいのだ。
どだい、信じろと言う方が無理な話なのかも知れない。
しかしこれは本当にあった事なのだ。

それは冬の寒い夜の出来事だった。
俺は仕事から帰ってきたところだった。
疲れていた。
しかしポケットに手を突っ込み事態を把握するまで時間はかからなかった。
そして落胆した。
「やれやれ、またやってしまったか」
部屋のカギを忘れてきたのだ。
しばらくぼーっとその場に立ちすくしてはみたものの為す術が無いのは解り切っていた。
電車はもうない。やっとの思いで終電で帰ってきたのだから。
寒かった。
「何とかなるかも知れない」俺はある種の確信のようなものを抱いて決断した。
当時俺は三階の角部屋に住んでいた。
愛用のアメリカンセルマースーパーバランスアクションの入ったケースをその場にそっと置き、雨どいをよじ登りながら俺は全身で声にならないメッセージを発し続けた。
「怪しい者じゃありません!!」

何度かの失敗の後、やっとの思いで三階のベランダに手を掛ける事が出来たが、それで終わりでは無かった。
俺は反対側の角部屋に住んでいたのだ。


連載小説「靴下」第四回 '02/3/1
ジャズミュージシャンの生活、
決まった給料も無く、社会保証も年金もボーナスも無い生活、
まさに、綱渡りのような生活を日常的に送っている訳だが、
まさか本当の綱渡りをするとは思ってもみなかった。
目的地は2軒先、幅10cmそこらの綱渡りだ。
一軒は部屋の電気は消えており、もう一軒はついていた。
しかしそれがどうであろうと、選択の余地が無いのは明白だ。後戻りはできないのだ。
不思議と俺は冷静だった。
「何とかなるだろう」そして静かに集中した。
ベランダの手すりの上で両手を水平に揚げバランスをとりながら、やはり強く、より強く念じ続けた。
「泥棒じゃありませ〜ん!!」

果たして願いは天に届いた。いや、かに見えた。
やっとの思いで俺の部屋のベランダに辿り着いた時、部屋のカーテンは開いており、電気もついていた。
ガラス越しに見る部屋は相変わらず散らかっていたが、それとてむしろある種の懐かしい気持ちを呼び起こすに十分だった。
寒かった。
早くベッドにもぐり込んで部屋の電気を消し、まるで何も無かったかのように眠りたかった。
しかしながら、ベランダのサッシは開かなかった。
まるでそれが自らに与えられた当然の職務を遂行しているかように。


連載小説「靴下」第五回 '02/3/11
流れ星が落ちる間に願いごとを三回唱えるとその願いはかなう、と言うのは本当である。
つまり、いつ現れるかもわからない流れ星を見て、とっさに願い事を言えるという事は四六時中その願望を具体的にイメージしているというわけだ。しかも三回。
これは、実現可能な願いは常に簡潔でなければならないという事を意味している。
「メジャーレーベルからから買い取り条件無しでCDデビュー。スイングジャーナルとジャズライフにカラーページの広告を、出来ればレコ発ツアーもとってくれれば最高」
これは少なくとも星にかけるべき願いでない。レコード会社にあたるべきだろう。

しかし今、状況はシンプルである。
「開け、開け、開け。」
これほど、簡潔且つ具体的、そして切実な願いがかなう可能性は無いのだろうか、
いや、無いのだ。
その夜は曇っていた。
願い事が天候に左右される、世の中は実際そんなものなのだろう。
寒かった。
俺は少しばかり冷静さを失っていたかも知れない。
しかし今となっては信じられるのは自分だけなのだ。
「何とかなってくれ」俺は静かに集中した。
両手をサッシの鍵の部分にかざし、強く、さらに強く念じた。
「ハンドパワ〜!!」
自分のやっている事が馬鹿げているのは解り切っていたが、それ以上に自分の目を疑わないわけにはいかなかった。
動いたように見える。
ほんの少しではあるが、いや、気のせいかも知れない。
しかし、もう一度やる事によってそれは疑念から確信へと変わっていった。
そして何度目かのトライの後、ある手ごたえと共に静かな音がした。
その音は祝福に満ちていた。
部屋の明かりはついていた。そしてそれはこの上もなく暖かく懐かしいものだった。
疲れていた。
俺はシャワーも浴びずにベッドに潜り込み、明かりを消した。

どれぐらい眠っただろう、夢の中で、誰かが呼んでいる。
そして目が覚めた。朝だ。チャイムが鳴っている。
朦朧とした意識を引きずりながら部屋のドアをあけると向いの大家さんが立っていた。
「これ落ちてましたよ」
彼女は重たそうに俺の楽器を抱えていた。

 完                                                         





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